ヒロミチイト物語

ヒロミチイト・hiromichiito(撮影・旧東京目印事務所にて)
1971年( 昭和46年)6月23日 午前3時10分、
三重県に、伊藤家の長男として生を受ける。
伊藤弘通(いとうひろみち)という名前を授かる。
この、「弘通」という名前には、
人生というモノを道とするならば、
広い道をどうどうと胸を張って歩んで行って欲しいという、
両親の深い思いが込められているそうです。
両親の愛情に感謝、感謝です。
人生のメインストリートを歩んでいるのかどうかは分かりませんが、
実際の路上では、みちくさしたり、近道をしようとドブにはまったりしました。
ちびっ子の頃はよく私有地に無断で勝手に入ったり、
人のウチの屋根に上ったりと、色々悪い事をしていましたね。
アメリカなら、とっくにライフルでぶっ飛ばされてますね。
さてさて、話を戻します。
広い道を歩くと言う事で、「広道」という名前になったのですが、
そのままの漢字で「広道」というのは、
名字と合わせたときに字画が、そんなによろしくないらしく、
どこかの偉いお坊さんに相談して「弘通」に変更したそうです。
お坊さんに決めて頂いた名前だし、人に自分の名前を説明する時は、
弘法大師の「弘」に、交通の「通」ですと、説明します。
しかし、きちんとこのように説明しましても、
この「弘通」という漢字は、非常によく間違えられるのです。
間違いランキング第一位は、「弘道」ですね。
あまりにも、よく間違えられるので、
「弘道」という名前の方にも、少し愛着が湧いてきた今日この頃です。
名前を付ける際、「弘通」の他に、いくつか候補に挙っていたそうです。
最期まで「弘通」と共に残っていた名前の候補が、
「章史(しょうじ)」という名前らしいです。
しかし、「弘通」の方が字画が良いとの事で、「弘通」に決定したそうです。
ちなみに、僕には一つ年下の弟がいるのですけれど、
姓は「伊藤」、名は「章史」という・・・。
悪いね、章史君よ。
名前をきっかけに、君がグレずに素直に育って本当に良かったよ。
「章史」という名前も、字画はなかなか良いそうだよ、
ただ「弘通」の方がもっと良いだけなのだよ。ひひひ。
ここで、ついでに家族構成も話しておきましょう。
家族構成は、両親、そして、弟の他に、一つ年上の姉がおります。
そうです、僕らは年子なんです。
今では、姉は結婚して、3人の甥っ子がおります。
かわいい3人坊主たちです。
しかも、年子です。血は争えませんね。
そうそう、この夏に姪っ子も産まれました。
この少子化社会の中、4人も子供を産むなんて、
ウチの姉は人類繁栄に貢献してますよねぇ。
小学生時代は、サッカー、水泳などいろいろとやってみる。
この頃、友人達のほとんどは、書道教室やそろばん塾に通っていました。
(僕らはそろばん屋、習字屋と呼んでいました。)
水泳教室や、サッカーの練習のあと、みんなはそろばん屋や習字屋に行ってしまう。
ずっと友達と一緒に居たかったから、自分も習字屋や、そろばん屋に通うようになる。
しかし、もともと遊び相手を求めて通う事にした習い事ですから、
当然、楽しいはずもなく、習字屋では毛筆漫画を書き、
ソロバンは、楽器やおもちゃに変わり果てて、計算に使うことはまるでなかった。
そんなある日、ソロバン屋のおばあちゃん(先生)が家までやってきて、
「頼むから辞めてくれ」と言われる。
僕と弟は、まとめて追い出されました。
(後に習字屋の先生もやってきて、こちらも兄弟揃ってクビになる。)
キックアウトになった理由は聞かなかったけど、
その理由として一番考えられるのは、
ソロバン屋にソロバン持たずに通っていたからだろう。
あるいは、ソロバン屋の二階の屋根から、度々脱走していたからなのか?
後に、僕と弟は超スパルタのソロバン屋に送り込まれる。
「あしたのジョー」でいうならば、特等少年院にあたるようなそろばん屋だ。
パラシュート部隊の歓迎に始まり、ネジリンボウを頂くのだ。
そこには、鉄拳上等の校長先生がいて、
後に、僕も弟も、頭にたんこぶをたくさん作る事になる。
なんとか、鼻からうどんは出さずに済んだ。
しかし、あの校長め、そろばん塾なのに何故校長なんだ?
良く考えたら、塾長じゃないか。
こうして、僕の自由な感性と、のびのびとした行動力は制限されていったのである。
中学生になり、すくすくとは育たず、ちびちび育つ。
そして、この頃になっても、落ち着きの無さは相変わらずであった。
今はもう亡くなってしまった、大好きな祖父にはチョロ松と呼ばれるほど、
寝るとき以外は一日中チョロチョロしてました。
最近になり、自分が小麦粉アレルギーであることが判明。
多分、落ち着きがないという大きな原因の一つであろうと思われる。
小麦粉アレルギーの患者が小麦粉を接収すると、行動に落ち着きがなくなるのだと、
ニューズウィークに書いてありました。
中学生になって大きな変化があった。
Rolling Stonesをはじめとするロックンロールの洗礼を受けたのです。
ある日、友人のクロタツ宅で、サティスファクションを聞き、青白い光を見た。
牧師に、「Do you see the light?」と聞かれ、
「yeah!」とベルーシの様に格好良く・・・・いかず、
実際は、「ストーンズって、ええなぁ」と、
チェリオでうまい棒を流し込んでいたのでした。
それからは、勉強などそっちのけでロックに夢中になる日々。
それまでも、勉強はずっとそっちのけだったのですけどね。
中学三年生の時、初めてギターを買う。
フェンダーJAPANのテレキャスターだ。
お年玉では足りなかったので、祖父に足りない分を出して貰った。
これは、弟には内緒である。
亡くなった祖父の思い出と共に、今でも大事に持っている。
高校にはいると、サッカー部に入部するものの、
諸事情(実に下らない理由)で退部になる。
校内の廊下でふらふらしている所を、
運悪くレスリング部の先生の目にとまりアマレスをやるはめに・・。
小柄な割には筋肉質だったので、力技で三重県で3位に入ってしまうこともあった。
そんな、もさもさ部活の反動もあり、バンドモテモテ計画をたてる。
少し不純で、そこそこ純粋な動機でバンド活動を始めたバンドマンは、
ミックのようにはもてなかった。
大学に入ると、昔から好きだった絵を本格的に描き始める。
誰に見せたいわけでもなく、ただ描きたいという衝動だけで始めた。
大学を卒業して2年後、渡米する。
サンディエゴに約2年、サンフランシスコには約5年滞在する。
サンフランシスコでは、Academy of Art Universityの大学院にて、
イラストレーションの基礎などを学ぶ。
そこでは、幸運にも、Mark English氏やサノカズヒコ氏といった、
素晴らしいイラストレーターの講義を受ける事も出来た。
留学時代には、勉強以外でもエキサイティングな事があった。
それは、サンフランシスコ市内でストーンズのメンバー全員に遭遇し、
メンバーのロン・ウッドと握手することが出来た事だ。
2メートルぐらいの近距離からストーンズのメンバーを見れるなんて、
本当に、夢の様なひとときだった。
信じられないことは、それだけでは終わらなかった。
なんと、僕のヒーロー・トム・ウェイツのライブを見る事が出来たのだ。
ライブ時には、彼のマネージャー経由ではあるが、彼の為に描いた絵を渡すことも出来た。
マネージャーさんが翌日教えてくれたんですけど、
トム・ウェイツは気に入ってくれて、そのまま家に持って帰ってくれたそうだ。
嬉しくて、その夜は眠れなかった。
夢や、想いは、持ち続けているだけでも、叶う確率は上がるんだなぁって体で感じました。
その後、大学を卒業し帰国。
帰国して一年後に上京し、憧れのイラストレーターの木内達朗氏に師事する。
その当時は、本名の伊藤弘通という明記で仕事を始めましたが、よく他の方と間違えられたので、カタカナのイトウヒロミチに変更。
しかし、この名前もいまいちインパクトが無いので、改名する事に。
何にしようかと、色々考えているうちに、留学時代のエピソードを思い出した。
サンディエゴにいた頃に、友人で同居人だったスイス人の女の子達が、
ある日、「What is your last name?ーあなたの名字は何ていうの?」と、尋ねてきた。
僕は、「My last name is ito. Hiromichi Itoー僕の名字はいとうだよ、hiromichi Itoだよ。」と応えた。すると、彼女たちは突然大笑いし始めました。
どうして笑い出したのか分からなくて、その理由を尋ねてみた。
彼女たちは、イタリア語を話すんだけど、
イタリア語では、小さな子供達に「〜ちゃん、〜くん」というのに、
男の子なら、ito、女の子なら、itaを名前の語尾に付け足すらしいです。
ひろみ(hiromi)という名前を例にとって説明致しましょう。
もし、男の子なら「hiromitoーヒロミート」で、「ひろみくん」。
もし、女の子なら、「hiromitaーヒロミータ」で「ひろみちゃん」となるんです。
僕は、男で小柄でおまけに童顔でしょ、その僕の名字が伊藤(ITO)だったものだから、
「あなたにこれ以上ピッタリな名前はないのよ」と笑ったらしいです。
まぁ、太ったアメリカ人の名前が「デーブ」みたいなノリですね(笑)
それ以来、彼女たちはしばらく僕の頃を「ヒロミチート」と呼び始めました。
このエピソードを、木内さんに話した所、「ヒロミチイトというネーミングは傑作だよ。」と言って下さいました。
ネーミング名人の師匠が言うのだから間違いない。
僕は、その名前にする事にその場で決めました。
表記では、ヒロミチートより、ヒロミチイトの方がインパクトはあると言う事で、
日本語表記の時は、「ヒロミチイト」、英語表記では、名前と名字をくっつけた「hiromichiito」としました。
その名前のおかげか、少しずつ仕事も頂けるようになってきましたし、名前も一発で覚えて下さるようになりました。
なずけ親の木内さん、バーバラ、クレア、そして両親に感謝!
その後、師匠が、「ヒロミチイトはペンネームとしても、見た感じも凄く良いけど、呼ぶ時は少し長いから、これからはミチイトと呼ぶ事にするよ」とおっしゃって下さり、現在では師匠にはそう呼ばれています。
その影響か、最近では周りの方にはミチイトと呼ばれています。
というわけで、ここまでが僕の人生のダイジェストでした。
長い長い、駄文を読んでくださってどうもありがとうございます。
若輩者の私ですが、どうぞこれからもヒロミチイトを宜しくお願い致します。
ではでは。
2006年1月1日 ヒロミチイト
